繰返し聞き続ける古楽(7)-92  バッハ「パルティータ全曲 」BWV825-830

バッハ(独1685-1750)の鍵盤の組曲には、この「パルティータ」のほか「フランス組曲」「イギリス組曲」などがある。「パルティータ」は、「クラヴィーア練習曲集第1部」として最初に出版され、第2部には「イタりア協奏曲」「フランス序曲」、第3部「オルガン・ミサ曲」、第4部「ゴルトベルグ変奏曲」と続く。
「パルティータ」のなかで、印象深いのは1番と6番。1番は、舞曲のリズムを生かしながら、自然にある調和、変化を音で表現しているような繊細さとともにおおらかさがある。第2曲は、イタリア協奏曲を想起させる。
6番は、第1曲が長大なトッカータ。冒頭のあふれ出る感情が曲を最後まで流してゆく。

繰返し聞き続ける古楽(7)-91 バッハ  「フランス組曲 5番BWV816」

バッハ(独1685-1750)の組曲は、このフランス組曲に先立ち「イギリス組曲」がある。「イギリス組曲」は、各曲の冒頭に自由なプレリュードがおかれているが、フランス組曲は、それはなく、舞曲リズムのアルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグを核とした組曲である。バッハは、舞曲リズムから、曲のさまざまな多様性を引き出したといわれている。
繊細なリズム感、洗練された音楽表現、自然な音楽といった性格を創り出してきた。
この組曲の、特に有名でもある5番のアルマンドが流れ始めると、その洗練された音楽表現と自然な流れにうっとりしてしまう。

繰返し聞き続ける古楽(7)-90 バッハ オルガンコラール「深き淵より我汝をよばわる」

オルガンコラール「深き淵より我汝をよばわる」→詩篇130の基づくマルティン・ルターの作詞作曲。
同名のカンタータ第38がある。
詩篇130は罪の深い絶望から神の赦しを乞うという内容。
コラールの単旋律をもとに、深い淵からの重い叫びが響いてくるような荘厳な曲である。
時が生まれ一斉に万象が動き始め伸びてゆき互いに絡んでゆく。
そして怒濤のごとく流れゆく

繰返し聞き続ける古楽(7)-86 バッハ オルガン曲「トッカータとフーガ 二短調BWV565」

この曲は、誰でも知っているバッハ(独1685-1750)のオルガン曲の代表作であるが、この曲に触発されてヘルマン・ヘッセが詩を書いている。「バッハのあるトッカータに寄せて」という題がつけられている。
「凝固せる太古の沈黙.....支配する暗黒.....このとき一条の光  雲の裂け目よりほとばしり、光なき虚無の中より 世の深遠をつかむ。..............」 
ヘッセは、「バッハのトッカータを聞くと、必ず天地創造のイメージが、しかも光の誕生のイメージが湧いてくるのです。」と言っている。天地創造の「光あれ」の始原の瞬間を描くことが出来るのは、人間の無意識の深い層において共鳴しあうリズム、時間の流れを表現しうる「音楽」においてしかない。それは、まさに、オルガンの、バッハの、この曲、なのかもしれない。
打ち寄せる波の往還。

繰返し聞き続ける古楽(7)-85 バッハ オルガン作品「幻想曲とフーガ BWV542」「フーガ BWV578]

バッハの「幻想曲とフーガ BWV542」「フーガ BWV578]は、大フーガ、小フーガといわれている名曲。大フーガ、小フーガという言い方は、BWVの番号が存在しなかったときの名残りのようである。
大フーガのドラマティックで、未踏の空間へグイグイ心をひっぱって行くような展開、そして、目の前に開ける壮大で美しい世界。この音楽の世界は何だろう。すべてが一致結合し価値を認めており充足しあっている。
一方の小フーガは、バランスの取れたまとまった名曲。

繰返し聞き続ける古楽(7)-84 バッハ  「オルガン独奏のためのトリオソナタBWV525-530」

バッハ(独1685-1750)のこのオルガンのトリオソナタは、3楽章構成で6曲あるが、詩情に満ちた美しい曲ばかりで、どの曲にも惹きつけられる。3人で演奏されるソナタ形式を一人で、右手、左手、両足で3パートを演奏する。それぞれのメロディの自律性を認識し、他のメロディーとの掛け合いを上手く弾きこなす必要があり、かなり高度な演奏技術が要求される。
ソナタ525の冒頭から楽しい豊かな音色で始まり、切なく美しいアダージョ、アレグロでは、軽やかな小さな生き物が飛び交う。ソナタ526のラルゴ、ソナタ527のアダー-ジョなど美しい曲を経て、ソナタ528,529,530に至って豊穣な音響世界に誘う。
後半では、特にソナタ529の、アレグロの出だしがかわいらしい行進、小さな喜びがときめく。ラルゴが印象に残る。不思議な魅力を感じさせる音の世界。泉がわきでるような。

繰返し聞き続ける古楽(7)-83 バッハ 「マタイ受難曲」

バッハ(独1685-1750)の「マタイ受難曲」は、「ヨハネ受難曲」が「初めに言あり、言は神であった」という福音書の前提を踏まえているため、神の支配、栄光が強調されるが、「マタイ受難曲」の方は、イエスの人間的実存の面から展開されているため、イエスの人間としての苦悩などが多くの場面で描写される。ユダの裏切りへの厳しいことば、イエスの苦悩を理解しない弟子への落胆、「我が神、どうして私をお捨てになるのか」という神への信の確認など、きわめてドラマティックな展開を見せる。「ああ、血にまみれ傷ついた御頭よ」が歌われるコラールの旋律が何度も繰り返えされ、そのたびに、胸が締め付けられる思いがする。一度聞いたら忘れられない旋律である。ヘルマン・ヘッセは、ある手紙の中で、このマタイ受難曲について、次のように述べている。「この曲は本当に計り知れぬ偉大な作品です。「いつの日にかわれ去り逝く時」のコラールとか、終わりの合唱の序奏の部分などで、熱い涙がほほを伝うのを感じたほどです。でもベルリンの真ん中で、主イエスの死に立ち会うなんて奇妙なことですね」

繰返し聞き続ける古楽(7)-82 バッハ モテット3番BWV227「イエスよ、私の喜びよJesu,meine Freude

バッハのモテットは6曲あるが、いずれも、聖書の聖句や宗教詩、コラールなどのテキストを音楽化したもので、祈りの音楽である。中でも3番「イエスよ、私の喜びよJesu,meine Freude」は、同名のコラールをベースに、それを効果的に生かした素晴らしい作品である。テキストも、イエスに寄り添うことで、死、罪、傲慢、虚栄、富、名誉と戦うといった素朴な内容で、心の安らぎを求める祈り、信仰、霊の勝利を歌う。変奏が多彩で、テキストの内容が音楽となって深化してゆく不思議な一曲である。

繰返し聞き続ける古楽(7)-81 バッハ  カンタータ第182番 「天の王よ、汝を迎えまつらん」BWV182

イエスはユダヤ各地で伝道して多くの信者・弟子を得た後、首都エルサレムに入り、やがて十字架にかけられるが、このエルサレム入城を「枝の日曜日」とし、その週の金曜日が受難日、次の日曜日が復活祭となる。第182番 「天の王よ、汝を迎えまつらん」は、このエルサレム入城の時のカンタータである。最初のソナタは、ヴァイオリンとリコーダーによる素朴でのどかな音楽。「ロバに乗って」という場面を想像させる。なんといってもこの曲の要は、5曲目のアルトによるアリアであろう。リコーダーのオブリガートが、やがてやって来る受難を予知させる。

繰返し聞き続ける古楽(7)-80 バッハ カンタータ106番 「神の時こそいと良き日」

J.S.バッハ(独1685-1750)のこの曲は、「哀悼行事用」呼ばれる葬送用のカンタータである。リコーダー、ビオラ・ダ・ガンバの柔らかい美しい前奏で始まる。死の人間のジメジメしたやりきれなさが、どこかへ吹っ飛んでしまうような独特の響きがある。旧約の、避けられない掟としての死を歌うバス、その後、やさしいソプラノが「主イエスよ来たりたまえ」と救済の手を差し伸べる。直後のアリアとガンバの伴奏がとりわけ美しく感動的だ。終章もリコーダー、ガンバが効果的にコラールを締めくくり、これらの楽器の魅力を再認識させてくれる。

繰返し聞き続ける古楽(7)-79 バッハ カンタータ第82番「われは足れり」BWV82

バッハ(独1685-1750)のバス独唱の名曲として知られる。ルカによる福音書にある、救い主としての幼児イエスに出会い心満たされて死に赴くシメオン老人の物語で、シメオンを「私」として歌います。”私はもう結構。正しい人たちの希望である救い主をこの腕に抱きしめたのだ。私は今日のうちにもこの世を去りたい。”と。誕生した孫かひ孫を抱き上げる老人のような、深い限りなくやさしい喜びと気持ちが重なり、心が安らぐ名曲である。

繰返し聞き続ける古楽(7)-78 バッハ カンタータ4「キリストは死の縄目につながれたり」BWV4

ルターが、グレゴリオ聖歌「過越のいけにえを」Victimae paschali laudesの旋律を改編してコラール「キリストは死の縄目につながれたり」を作り、そのコラールをもとにバッハがカンタータ4番とする。
このカンタータ「キリストは死の縄目につながれたりBWV4」は、死と生命が戦い、生命が死を呑みつくすという緊迫感のあるクライマックスがあるが、
音楽としては、
その前の、罪ゆえに死に囚われる人間の絶望を歌う
ソプラノとアルトの2重唱の第2変奏「死に打ち勝てる者絶えてなかりき」(Den Tod niemand zwingen kunnt)と
死に勝った喜びを歌う
第6変奏「かくて我ら尊き祭を言祝ぎ」(So feiern wir das hohe Fest)が
不思議な響きを持っていて印象的。
バッハは、聞くものに音楽の喜びを与えてくれる不思議な作曲家だ。
第5変奏のバスのアリアは聞き逃せない。

繰返し聞き続ける古楽(7)-77 ペルゴレージ    「スタ-バト・マーテル」

ジョヴァンニ・バティスタ・ペルゴレージ(伊 1710-1736 後期バロックのオペラ作曲家)は、バッハより25年後の世代だが、26歳の若さで亡くなっているため、彼より早く世を去っている。
「スタ-バト・マーテル(悲しみの聖母)」は、グレゴリオ聖歌のひとつで、十字架のイエスの足元でマリアがわが子を嘆く悲痛な詩である。
グレゴリオ聖歌は、やや単調な歌であるが、ペルコレージのこの歌は、悲しみの中に明るさもあり、まことに美しい。パレストリーナも美しい「スタ-バト・マーテル」を作っているが、ペルゴレージの魅力には及ばない。
絵画や彫刻で言えば、ミケランジェロなどのイエスを抱くマリア像「ピエタ」などに相当するが、人間の極限の悲しみを表現する難しさがあり、音楽でも、絵画でも秀作は多くない。

繰返し聞き続ける古楽(7)-76 ガルッピ  チェンバロ「ソナタ5番ハ長調」

バルダッサーレ・ガルッピ(伊1706-1785)は、後期バロック期のオペラの作曲家であるが、大変魅力的なチェンバロのソナタを残している。チェンバロ「ソナタ5番ハ長調」は、ミケランジェリのピアノ演奏で有名になったが、曲の鳴りはじめた瞬間からその旋律に引き込まれてしまう。
この美しいチャーミングな旋律は、ミケランジェリのピアノ演奏で聞くと、もはやバロックではなく、モーツアルトなどに近いが、チェンバロの演奏は、もっと素朴で別な味わいがある。

繰返し聞き続ける古楽(7)-75 ルクレール  「ヴァイオリンソナタ」第4巻作品9-10

ジャン・マリ・ルクレール(仏1694-1764)は、「フランスのコレッリ」と呼ばれている。
ラモー(仏1683-1764)と同世代のルイ15世時代のヴェルサイユ学派で、ヴァイオリンをコレッリの高弟に師事している。彼の華麗で繊細な音楽は、音楽と舞踊の結びつきから来ている。彼はイタリアで若き頃舞踊手でもあった。「ヴァイオリンソナタ」1巻から4巻まで48曲を作っているが、すべての「ヴァイオリンソナタ」に舞曲風のステップが刻まれ、優雅で美しい。第3巻作品5-7などは、タルティーニの「悪魔のトリオ」を思わせる旋律もある。
晩年にオランダの王女に捧げたという第4巻作品9-10は、美しく味わい深い。

繰返し聞き続ける古楽(7)-74 ヘンデル ハープシコード組曲

ヘンデル(英1685-1759)のハープシコードの作品には、魅力的な曲が多い。
ヘンデル自身、ドメニコ・スカルラッティとハープシコードの腕試しをした逸話があるほどの名手である。
「調子のよい鍛冶屋(組曲第5番)」は、もっとも有名でありいつ聞いても楽しくさせてくれる曲である。この原曲は「シャコンヌ ト長調」の主題と変奏にある。
ヘンデルは、ハープシコードにおいて霊感を得た音楽を伝えようとしたといわれるが、彼のリズムや音の展開には湧き出る泉のように心の乾きを潤してくれるものがある。
このほか組曲としては、第4番(ニ短調)、第1番(イ長調)、第7番(ト短調)など印象的である。
特に4番ではコレッリのラ・フォリアを想起させる和音のサラバンド、第1番では、ガルッピを思わせるアルマンド、第7番ではパッサカリアに不思議な魅力がある 。

繰返し聞き続ける古楽(7)-73 ヘンデル  「リコーダソナタ」

ヘンデル(英1685-1759)の作品のなかで、「リコーダソナタ」は、多くの人に愛されている。
リコーダを吹くアマチュアにもプロにも。
曲が明るく、気持ちを平和な調和の世界に整えてゆく。とにかく旋律に無理がなく単純で質素なのであるが、内実が豊かで聞き手の心を満たしてくれる。
ソナタハ長調、イ短調、変ロ長調をはじめ、トリオソナタなどもより豊かな表現力を伴って、リコーダと通奏低音の、他の楽器にはない魅力的な雰囲気に浸ることが出来る。