★スヴェーリンクとフレスコバルディ
バッハにつながってくるオルガン曲の礎を築いたのは、スヴェーリンク(蘭1562-1621)とジローラモ・フレスコバルディ(伊1583-1643)である。
スヴェーリングは、スペインから独立しオランダの黄金期といわれる時代で、宗教的にはカルヴァン派などプロテスタントの環境下で比較的典礼などから自由に作曲をしてきた。一方、フレスコバルディは、ローマのサン・ピエトロ寺院のオルガニストであり、聖歌に代わる典礼用のオルガン曲などを作曲しその「オルガン・ミサ」の代表作が「フィオーリ・ムジカーリ(音楽の花束)」である。
スヴェーリンクは、門下生のドイツのシャイトやシャイデマンを通して、またフレスコバルディは、弟子のフローベルガー(独1616-1667)を通して、ブクステフーデやバッハなどドイツのオルガン音楽に至る道を敷いたといわれる。(スヴェーリンクとフレスコバルディとの直接も交流は定かではないようである。)
この頃からバッハにいたるの一連の作曲家のオルガン曲には、宗教改革の息吹もあり、神との対話の音楽として、厳しさのなかに素朴さと伸びやかさがあり、深い安らぎを感じさせてくれる。
スヴェーリングは、スペインから独立しオランダの黄金期といわれる時代で、宗教的にはカルヴァン派などプロテスタントの環境下で比較的典礼などから自由に作曲をしてきた。一方、フレスコバルディは、ローマのサン・ピエトロ寺院のオルガニストであり、聖歌に代わる典礼用のオルガン曲などを作曲しその「オルガン・ミサ」の代表作が「フィオーリ・ムジカーリ(音楽の花束)」である。
スヴェーリンクは、門下生のドイツのシャイトやシャイデマンを通して、またフレスコバルディは、弟子のフローベルガー(独1616-1667)を通して、ブクステフーデやバッハなどドイツのオルガン音楽に至る道を敷いたといわれる。(スヴェーリンクとフレスコバルディとの直接も交流は定かではないようである。)
この頃からバッハにいたるの一連の作曲家のオルガン曲には、宗教改革の息吹もあり、神との対話の音楽として、厳しさのなかに素朴さと伸びやかさがあり、深い安らぎを感じさせてくれる。
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